ミュウが教えてくれたこと。




ミュウが私の元を旅立ってから今日でちょうど一年が経ちました。


あっという間です。

ミュウの命が私の手からこぼれおちた瞬間がついさっきの出来事のように思えます。





ミュウが死んで最初の頃は瞼に焼き付いてるミュウの姿を必死で追い掛けてたような気がします。


あッ、今ミュウ居なかった?


部屋の隅っこやカーテンの陰に隠れていたずらする姿やこたつの中で体を伸ばして寝てる姿を、、、、。



でも少し過ぎるとミュウの思い出をおさめたDVDも携帯に撮り溜めた写真さえもなぜか直視出来なくなりました。


17年の長いあいだほとんど病気らしい病気もそして怪我も無く本当に健康だったうちのミュウ。楽しい思い出ばかりなはずなのにこの一年はミュウが死ぬまでの辛そうな数日間と火葬場で最後の姿を惜しみながら頭を撫でてた事しか思い出せません。


自分以外の人間はたかが猫とか!たかが動物と思うでしょうし自分もまたミュウ以外の動物にはそれと同じ感情だとおもう。それでもやっぱりミュウは自分にとってかけがえのない家族だし娘と言ったら言い過ぎなのはわかるけどそのくらいの気持ちはあるとおもう。それだけに理不尽だけどまわりとの温度差に毎日イライラしてました。自分はどうしてこんなに悲しいのにまわりはそんなに平気なの?ミュウは死んだんだよ!ミュウの死を誰に話してもふ〜んそうなんだ?かわいそうに。と言った次の瞬間には全く別な話題に切り替わってた。


当たり前なんだけどね。


ペットロス!


そんな言葉がミュウが死ぬまでは自分にとってまったく縁の無い言葉と思ってました。程度の差こそあれど自分は立派なペットロスでした(です)

毎日つまらないことで苛立ってはカミさんと何度も口喧嘩して、毎回返り討ちにあってはボロボロにされてました。でも本当にすまなかったと思います。



ミュウは死ぬ2〜3日前にはほとんど動く事が出来なくなっていました。食べる事も飲む事も止めたミュウは去年の2月17日の朝、息を引き取りました。


死の直前まであれだけコテコテと力無く息だけしていたミュウが最後の瞬間は私の力では押さえつけられないくらいの力で体をのけ反らせました。


ごめんね。苦しかったよね、、、、、




勝手な解釈だけどミュウは死ぬ瞬間にきっと命の力というか、、、そんなことを教えていってくれたんじゃないかな?って。


後付けだけどミュウの死にとにかく意味を見出だしたくて。そしたらそのメッセージが実は自分の中に強烈なインパクトを残していたんだよね。


はずかしながら自分もこの歳までに死にたいなんて思った事は一度や二度じゃありません。あの時の命の力はそう思った自分を恥ずかしい気持ちにさせるに十分でした。



あれから一年。 お骨になったミュウは部屋の1番お気に入りだった場所に今も一緒に居ます。毎日ご飯も食べさせてます。なのにミュウの遺影やお骨には視線を移せないし手を合わせることも一切しません。自分でもわからないですが多分何かを認めたく無いんだと思います。でも本当はミュウのことを考えたらどうしてあげれば良いのか?それを考えてあげたいのだけどまったく分かりません。土に帰すようにすすめられたこともありましたが、そうしたら今度は本当のお別れになってしまいそうで。



あやまればいいですか?誰かにこれでもかってくらいあやまればいいですか?それともお願いすればいいですか?誰か偉い人にこれでもかってくらいお願いすればいいですか? そうしたらまたミュウに会えますか?そんなことしたってもう二度とミュウをこの腕に抱けないことくらいちゃんと知ってます。だからこそ絶望なんです。


この日記の最後をポジティブに〆たかったですが書いてるうちにそんな気持ちになれなくなってしまいました。ごめんなさいね。





さて、いよいよ明日からにゃんだーガード主催の中川こうじ写真展がコラッセふくしまで開催されます。(詳しくは前々記事で)


一人でも多くの方々に被災地での犬、猫の現状を知ってもらいたいです。


よろしくお願いいたします。