実のならないヤシの木。




自分が小学生のころ通っていた小学校の校庭の隅に一本のヤシの木がありました。


といっても自分が知る限りヤシの実なんて一度も実った事なんかありません。



そもそもそれがヤシの木か?といったら多分違います。



そういえば学校の先生か誰かが本当の木の名前を教えてくれた事もありました。

木の根本には名前が書いてある立て札が刺してあったような気もします。


でも自分の兄貴もその上の姉貴達もみんなその木を『ヤシの木』と呼んでいました。


ヤシの木に集まろう!


そんな風にいっては友達と遊ぶ約束をしたもんです。


私たちにはそれが実をつけようが本当は名前が違うとかまったく関係なかった。

いつもそこにある存在。それが私たちのヤシの木だったから。



それから20年以上過ぎた頃に懐かしく思い帰省したついでに見ていこうと。


しかし残念ながらもうヤシの木は切られて無くなっていました。


邪魔で切られたのか?枯れてしまったのか?


理由はわからないけどそこには存在していない事は確か。



〜諸行無常〜


仏教用語でこの世に存在する全てのものはその形を一瞬とて一定を保持する事が出来ない事をいうそうですね。深くは知らないけど、、、、、



であればあまりに当たり前な事が目まぐるしく身の回りで起きている。


失われてく炎も、光りを失い悲しむ気持ちも、、、、、


みんなの思い出だったヤシの木も切られてこの世にもう存在してない。



全て諸行無常。 いい変えればまったく当たり前なこと。


悲しい気持ちも日々薄れて行くんだろうか?



悲しみなんて早く忘れてあのヤシの木の様に楽しかった日々だけを思い出し、語り合える日が来る事を願わずにはいられません。





明日から二日間、慶応義塾大学日吉キャンパスで大々的なイベントがあり、私も参加いたします。


気力が無いとかやる気が無いなんて言ってたら来て下さったお客さんに申し訳ないので気力を振り絞って頑張って参ります。