むかしばなし。



最近きゅうに頭の中がタイムスリップする・・・・


ここ何十年!?まったく思い出しもしなかったようなことなのに少年時代の自分をよく思い出します。


福島県の現状!子供達が自由に野山を駆け巡れずに屋内施設で遊ぶ姿を見聞きするにつれいっそう想いを馳せるわけで。



私らが子供の頃、原発の事故など夢にも思わなかったむかしむかしのお話しです。



あれは自分が小学5年生くらいの時だったかな。自分が住むY町の山間に某テーマパークがあり、その敷地内に交通公園がありました。


出入りは自由だし入場料みたいなものも無かったので子供の足では少し遠かったですが良い遊び場でした。


交通公園にはクワガタが捕れるくぬぎの木がたくさんあり公園の外れには水のきれいな池もありました。


夏はクラスの遊び仲間達とよくここへ来てはクワガタを捕ったり釣りをしたりしていました。


6月末の『のっこみ』の時期には餌が底に着く前にフナが釣れてるという『いれぐい』をここで初めて経験しました。


クワガタを捕るつもりがむしろクワガタよりオオスズメバチの方が多かったような場所でしたが少年時代の私らは怯みません。友達が一人首の後ろをスズメバチに噛み付かれた事は中学になっても笑い話の種でした。



交通公園の高台から山間を見ると隣の山のてっぺんに外国のお城のような建物がありました。


誰からともなくあの城へいってみよう!と、子供の発想としては当然の流れで探検の始まりとなりました。


道は見当たりません。ここから行く道は存在してなかったんです。なのでやる事は一つ!その方角に向かってひたすら強行あるのみでした。

池の横は釣り人が歩いて道っぽくなってましたがそれはもちろん池の周りだけで結局は薮の中を草を踏みながら分け入るしかありませんでした。


トゲのある草!


当時の私らはトゲのある草は全てバラと呼んでいました。そのバラでみんな脚も腕も傷だらけになりながらとにかく突き進みます。


背の高い木がある場所は下草が無いので歩きやすいけど木が無くなるとそこはツル草が絡まるように生い茂り進む事ができませんでした。


遥か遠くに城を眺めながらその日は断念し帰る事に。


次の日は友達と作戦会議!


あきらめなかったんですね。誰も止めたいって言う人もいなかったと思います。

みんな同じ目標の中でその冒険を達成したかった。


一回目のトライから何日後かは覚えてないけど二回目には皆カマやノコギリなんかを持ってきた記憶があります。


また同じ場所からトライするも梅雨明けの野原は更に草が生い茂りなかなか前には進ませてもらえません。


何度もトライしては失敗を繰り返してました。 失敗してるんだけど確実にいえる事は私らはあの時本当に楽しかったんです。


何度もトライしているうちに薮の中に道が出来てきました。

そしてついに私らはあの城までたどり着く事が出来ました。

なんてことありません、城とおもった建物はゴルフ場でした。


でも私らは山を越えて薮を掻き分けボロボロになりながら達成したその冒険は言葉では言い尽くせないくらいの何かを得る事がでました。



夏休みに行った山の中で大人達に守られる事なく、子供ながらに状況を判断しながら遊んだ事は全て大冒険でした。季節毎に変わる魚の習性や毒虫に襲われたり身を守ったり。訳も分からず叱ってくる大人からダッシュで逃げたり、崖や木から転落して大怪我だってしてました。そんな怪我は勲章でした。親も今ほど騒がず『おまえは間抜けだな〜』の一言で終わり。


夏の間こんな大冒険をしてたらテレビゲームなんてやってる暇はありませんでした。もちろん勉強する暇もありませんが(笑)



これからの子供達がかわいそうです。


私らが子供のころに体験した事は大人達がお膳立てしたうえでなら疑似的に体験出来るけど準備されたものには危険は無い。


子供を危険にさらせ!と言うんじゃなくていざとなったら的確で重大な判断が出来ても良いとおもう。


あの震災で津波を経験し、内陸でさえダムの決壊や地滑りなどで家族がばらばらになった。いつどんな時に一人になるかわからないんだから。



子供達が自由に遊べる野山はどこへいった?










2012年09月07日20:02 │Comments(0)
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。