3.11から今日までの歩み。



1000年に一度といわれるあの未曾有の大震災から今日まで・・・・・・。





なにも変わることなく、それは穏やかな午後のひと時。



前触れなく襲ってきたあの地震!



ただでさえ激しい揺れは段階的に強さを増して、最後はまるでスポーツカーのアクセルを更に踏み込んだかのような激しいエネルギーを感じました。



自分はただパソコンと棚を支える事しか出来ず、鉄筋造りの作業場が悲鳴を上げて歪み、鉄筋が折れ、天井が落ちた。


うまれて初めて感じる恐怖の中で私はそれを脳裏に焼き付けました。




まさか自分が避難所へ身を寄せる?とかいままで想像したことも無かった。



それがあの時は現実の事になっていた。


やがて情報が入り始める。


沿岸部での大津波!

映像を見る度に頭が真っ白になる。姉家族が住む石巻。親父が住む渡波地区。


全て津波が洗い去っていた。


情報の混乱から後に全員の無事を確認するまで数日を要した。


誰の目にも衝撃的だった原発建屋の爆発の映像!



何がおきたのか?それがどれだけ深刻な事態なのか?理解するまでは本当に長い時間が掛かりました。


私は昔からあの原発は何があっても壊れないと教わって来たもんだから。



先日放送された原発事故の現状を討論する番組もあれだけ頭が良い人間達が話しあっても結局なんの結論もうまれない。

それは仕方ないけど。人の数だけ皆事情が違うと思うから。


命の事だと言われてもそれを本当に真剣に受け止められない。


将来的に危ない!危険なんだよ!と言われてもまだこの地にはたくさんの人が生活している訳で、でもそんな人も楽観的に過ごしてる訳じゃなく除染したり食べ物に注意したり行動の制限をしたりと何かしら対策はしている。



住み慣れた土地や自分が今まで築き上げてきたものを放棄する事はとても勇気が必要で。例え国や東電が住む場所や仕事や当面の生活費を補償したとしても知らぬ土地や慣れない職場での人間関係までは保証出来ないでしょ?


正直、危険なんだよ?わからないのか?

テレビで誰かが激怒していてもその言葉が凄く冷たいものに感じる。 いろんな矛盾があると思うけど今ここに踏み止まっている人は少なからず『大丈夫』と言う言葉を信じていると思う。でもそれ以上に疑ってもいる。

じゃ、何故そんなリスクを背負ってまでこの地に残るのか?



みんな自分の生まれ育った土地を愛しているからじゃないですか?


仕事の都合もあるでしょう!



お金は沸いて来るものでは無いし限度があります。受けた補償に誰ひとり満足するとは思えない。


そんな中で何をすべきか?


選ぶ事は出来るけど必ず天秤にかける必要がある。軽かったものは?棄てるしかない重い決断。



今年は当然ながら強く決断?を求められた年となりました。


来年はどうなるでしょうか?



皆が竜のような強い気持ちで踏ん張り、人を思いやる。本当の意味で『絆』が生まれる事を願います。








だから、野菜や魚を売る時に『うちのは大丈夫!』って言い方しないでね


なんだかせつなくなるから。










2011年12月29日18:21 │Comments(0)
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