客観視?

(画像は本文と無関係)



こんばんは



例えば〜


○○してる人を見ながら○○する自分がいます。


ってな感じの文をたまに見かけませんか?


この『○○する自分がいます』


ってのが気になります。


自分もよく使いますが、あたかも何かしてる自分って人間を第三者目線で見ているという奇妙な様子ですよね?


自分もblogをやるまではまるで意識してませんでしたがそこのところちょっと意識してみました(^^ゞ


この書き方は例え私が反社会的?な立場をとったとしても客観視する事で気分的に責任を逃れられてます。


で、責任を感じないから文章が楽に書けるんですよね。


でもですよ!何かのセミナーに参加したりしたときってわりとよくこの『客観視する事が成功の秘訣!』なんて言葉を耳にします。


なんですか?これは何かの呪文?


ってくらい聞きましたf^_^;



それを信じればあながち客観視する事はマイナスな事じゃないのだとは思いますし文章中にうまく取り入れればそれはそれで読みやすくも出来るかも


あ、なんだかこの辺!うまく表現出来ない(´Д`;)



このお決まりのフレーズの使い方は割とあちこちでよく見かけます。
個性って面から見ればやはりつまらない文章になるのでしょうか?


客観的な要素を文章の中で反映させたいけど無責任な記事になるのはなんだか嫌だ(´Д`;)


う〜ん言いたい事がうまくまとまらない(笑)


今日気になって言いたかった事はそれだけf^_^;




でもね




その他に文章や日常の会話の中でもよくつかわれる書き方言い方で〜


『逆に・・・』


とか


『○○と思うのは私だけでしょうか?』

って、あるでしょ?


裏を返せばひじょうに表現力に乏しくてまるで一部の女子高生が何か見る度全て『カワイイ〜』で統一してしまうくらい書く側にとっては楽です。


読む側からすると一つの文章の中に頻繁に出現したらイラッとくるでしょうが、その表現力の乏しい文章に想像力を掻き立てられるかも!


実はなんでこんな事を記事にしたかと言いますと、ここ数日書いていた記事の『石巻市へ帰省』


油断していると上記のキーワードを頻繁に使ってしまうのです。


私はあの震災の状況を誰かに伝えようとか本当はおこがましいと思ってました。


書く以上は出来る限り自分の言葉で綴りたいとも思っていましたが私が見た震災の現状か?そのストレスか?

重圧を感じていつの間にか楽に書くことを選択している気がします。


震災の現状を書く場合、一旦フィルターを通す事によってその楽さ加減がまったく違います。



でもこの震災の記事を記録として残したいと少しでも思った時に『楽』に逃げてしまったら被害者に対して申し訳ないですよね?


だから最初から文章は全修正してかたい感じの記事となりました。


多分読まれた方は言う程ちゃんと書けてないじゃん


と突っ込みたくなるかも知れないし、読んでいても疲れるだけだと思います。


しかしあれが私の文章レベル


音楽もそうですが人が聞きたくなる!読みたくなる!


そういう伝え方が出来る人!


羨ましく感じました。


客観視することも、『逆に〜』って使い回しも今まで淘汰されていないのは見事市民権を得られた形だからでしょうか?

blogを書く以上は不特定多数の方に問題なく読んで頂ける?

そんな文章が書きたいですね(^^ゞ



つくづく自分が書いたレベルの低い文章を見て〜


逆に呆れてる自分がいます。



〜( ̄▽ ̄;)さっそくかーぃ





※ すみません支離滅裂な文章になってます